柏屋誕生ものがたり

まんじゅう事始め

発明したのは諸葛孔明

そもそも、「まんじゅう」は三国志でおなじみの諸葛孔明(しょかつこうめい)が、戦の際、荒れ狂う川を鎮めるために発明したと言われています。本来は肉まんじゅうでありました。

日本には平安時代に伝わった

「まんじゅう」が日本に渡来したのは平安時代と言われ、現在のように餡の入ったものは、1341年、宋の人・林浄因命(りんじょういんのみこと)がその技術を伝えました。

それに先立つこと約600年前、鑑真和尚(がんじんおしょう)の手によって、砂糖が日本に初輸入されており、砂糖という自然の生命は林浄因命の「技」と出会い、日本において「まんじゅう」というみんなを楽しませてくれるお菓子になりました。

林浄因命は、のちに日本に帰化し、姓を塩瀬(しおぜ)と改め、奈良でまんじゅう屋を始めました。 奈良の林神社(りんじんじゃ)は、この林浄因命をまつったもので、別名「まんじゅう神社」とも呼ばれています。

庶民に愛されるお菓子へ

それから約500年の時を経た嘉永五年(1852年)、柏屋の初代本名善兵衛は「病に薬がいるように、健やかな者に心のなごみがいる」との思いから、奥州街道郡山宿の薄皮茶屋で餡がたっぷりで皮の薄い饅頭を考案しました。

柏屋薄皮饅頭の誕生です。

その忘れられないうまさが奥州街道の名物となり、旅人はこの饅頭を食べたいばっかりにわざわざ遠回りして食べたものでした・・・。

誕生ものがたり

いつも心のなごみを

嘉永五年(1852年)、柏屋の初代 本名 善兵衛は「病に薬がいるように、健やかな者に心のなごみがいる」との思いから、奥州街道・郡山宿の薄皮茶屋で餡がたっぷりで皮の薄い饅頭を考案しました。これが柏屋薄皮饅頭の誕生です。

東北地方では当時、皮が薄くこしあんがたっぷり入った饅頭はめずらしく、その忘れられないおいしさは奥州街道の名物となり、旅する人々にとってわざわざ遠回りしてでも食べたい饅頭になりました。

創業から百六十余年、いつの時代も「おいしいね。」と言っていただけるよう、柏屋薄皮饅頭の新しい価値を創造し、喜びを提案し続けております。

こだわり伝説

初代「まごころで、包む」

創業まもない頃、旅姿の一人の男が柏屋を訪ねてきた。

旅人は上州(今の群馬県)のお菓子屋で、ある日、富山の薬売りが来て饅頭を食べたところ、 郡山の薄皮饅頭とは比べ物にならない・・・と言われたとか。そこで、薄皮饅頭の作り方を丁寧に教えて差し上げたが、1年ほどしてまたやって来た。
「まだ、うまくできません。」
「上州の。お前さんは餡を何で包むんですか?」
「教えの通り、あのようにして作った皮で包んでいるのですが・・・」
「ああ、それだからおいしい饅頭ができないんだ。まごころで包まないとお客様に喜んでいただけない。」
上州のお菓子屋は、この一言に大変感動し、何度もうなづきながら帰って行った。

二代目「マネはいたしません」

家柄とか身分とかが幅をきかせていた明治の頃。

ある大地主が二代目当主を呼んで法事の引き菓子を作るよう言った。 条件は、東京のあるお菓子屋と同じ饅頭を作ること。それに対し二代目は、「薄皮饅頭ならお引き受けしますが、そのお菓子屋のマネはできません」 と、きっぱり断った。 作れ、いや作らない・・・の問答の末、その大地主はかぶとを脱ぎ、薄皮饅頭を大量注文した。 当時とすれば村八分(むらはちぶ)覚悟のこと。

お菓子屋としての誇りと薄皮饅頭への愛情が、大地主をうなづかせたのだった。

三代目「おなかではなく、心をいっぱいにしよう」

戦後、日本が復興をはじめた頃の話。まわりのお菓子屋が手に入る原料や人口甘味料でお菓子作りを再開する中、柏屋は歯をくいしばり3年もの間お菓子作りを再開しなかった。

これは、「のれんに恥じるような薄皮饅頭なら作らないほうがまし」との信念からであった。 三代目の妻・香は、 「今はおなかではなく、心をいっぱいにしようね・・・」とわが子たちに言って聞かせ、良い材料が手に入るまでじっと耐え忍んだ。

四代目「饅頭で一生を棒に振る」

ひとりで薄皮饅頭を作ってくれる機械。 四代目にとっては20年来の夢であった。

やがて幾多の困難を乗り越え、世界初の自動包あん機の1号機が完成したが、三代目からの許可は下りなかった。 「まだ手作りのよりうまい薄皮ができない。これではお客様に申し訳ない・・・」

薄皮饅頭づくりの目的はひとつ。まごころを包んで、ひとりでも多くのお客様に楽しんでいただくこと。 機械といえど、そこには常に職人の優れた技術と感性との調和がなければならない。その後、試作をくり返すこと数十回。ついに三代目からの許可が下りた。

四代目は、自動包あん機の開発をはじめ、朝茶会の開催や大萬寿の企画、薄皮手づくり体験の実施など、まさに薄皮一筋に歩んだ。
自らを「饅頭で一生を棒に振る男」と呼んで笑う。

五代目「これまでも、これからも」

柏屋にしかできない喜び提案でお客様に楽しんでいただきたいと願う五代目は、創業150周年式典の席上である宣言を行った。

「これまでも」~嘉永五年の創業以来、21世紀の今日まで生かされてきた柏屋。先輩たちが種をまいて大切に育ててくれた花が、今、きれいに咲いています。信用という柏屋の大地にしっかり根を下ろし、天に向かって堂々と咲いています。この花の美しさをお客様に提供できるすばらしさ。先輩たちに感謝いたします。

「これからも」~私たちが今なすべきことは何でしょう。 先輩たちが咲かせてくれた花が美しく咲いているうちに、未来のための種をまき大切に育てること。その繰り返しが次々と新しい芽を出し、いっぱいのつぼみをつけていく。どんな花の種でも芽吹かせることのできる「信用」という名の肥沃な大地をつくること。

喜びのつぼみを「みんなのポケット」にいっぱい詰めて・・・。